――『ベンジー』の作者・立沢克美さんは、これまでのキャリアのほとんどを、師と仰ぐ井上雄彦さんと共に過ごされたそうですね。
『スラムダンク』からスタートした師弟の関係性を紐解きながら、
当時の思い出や最新作のエピソードまで、
これまで語ることのなかった秘話を聞かせて頂こうと思います。
よろしくお願いします。
- 井上
- 出会ってから4半世紀にはなるよね。なれそめといっても、特に話すことはないですよ(笑)。
- 立沢
- 相当昔過ぎて…。
- 井上
- 高校卒業してすぐじゃなかったっけ?
- 立沢
- そうですね。僕は18歳で、師匠(井上氏のこと)は6歳上だから。
- 井上
- 初対面の印象は、普通の若者だなと。当時は(漫画業界は)一風変わっている人が多かったから、おお、普通の高校生が来たって感じ。
- 立沢
- 僕も、見た感じは普通のお兄さんだなって思いましたよ。6歳といっても、そんなに離れているとは感じなかったですし。
- 井上
- 肌つやつやだったからね(笑)。
- 立沢
- 今でもそうじゃないですか。たしかに当時は、特につやつやしてましたけど(笑)。僕以外のアシスタントは、師匠と年齢が同じくらいでしたよね?
- 井上
- そう、同い年が2人いて、僕とタツ(立沢氏のこと)の間ぐらいのやつが1人いて。
- 立沢
- だからなんていうんですかね、下っ端感…ていうか(笑)。昼飯用の弁当を買い出しに行ったりしてました。
- 井上
- この間近所を通ったら、あの弁当屋がまだあったよ。
- 立沢
- マジっすか! 買ってきましょうか(笑)。
- 井上
- 僕はまだ1人暮らしで、住まいをそのまま仕事場にしていたんですよ。玄関入ったらすぐ仕事場みたいな狭い部屋。プライベートスペースがかろうじて1部屋くらいと6畳程度の作業場があったけど、アシスタントは他にも3人いたからタツは玄関の前でやってたよね。
――井上さんのアシスタントをされるきっかけは?
- 井上
- アシスタント募集とかじゃなくて、賞を取った原稿を見せられたよね。
- 立沢
- もともとバスケの漫画を描いたことがあったんです。『スラムダンク』を読んでいて、試合のシーンとかに衝撃を受けたこともあって…。
- 井上
- それはイチ読者として?
- 立沢
- はい。すげーなって思っていたら、編集さんに「そこへ(アシスタントに)行ってみないか?」って言われたんで、是非って(笑)。
- 井上
- 最初は『スラムダンク』の…。
- 立沢
- 4巻です。
- 井上
- 練習試合?
- 立沢
- そうです。師匠に「じゃあこの原稿やってくれ」っていきなり言われたんですよ。僕はその時まで、ペンをまだ3回くらいしか持ったことなくて、使い方もよく分かっていないぐらいで…。
- 井上
- どのコマか覚えてる?
- 立沢
- 覚えてます。花道が試合に出られなくて、うわぁーってなってるところ。そのパイプイスを書きました(笑)。初めて見るプロの原稿って、本当に綺麗だったんですよ。ホワイトで修正した跡なども全然なくて、もうすでに完成してる状態のような原稿だったので「うわっ!」ってなったのを覚えてます。
――井上さんはどのへんまで手を入れたものを、アシスタントさんに託すんですか。
- 井上
- 人物を描いて背景、人物以外のものを鉛筆でラフな感じで、こういう風に描いてくれっていうところまで描いてから渡しますね。
- 立沢
- その時点でかなり完成度が高くて感動しました。そこにペンを入れるのが怖くて、練習させてくださいって言って、初日はずっと練習してましたよ。入ってすぐのヤツに渡すのは不安じゃなかったですか?
- 井上
- まあ、ちょこちょこ見るしね。ヤバかったら、ちょっと待てって言えるし。失敗しても取り戻すやり方はあるし。上手く書けなかったとしてもやり直せばいいことだから。とにかく生原稿に描かないことには経験にならないし、見られることが経験になる。描かせることが一番上手くなるための近道だから。
- 立沢
- 「わからないことがあったらなんでも聞いてくれ」って言われましたけど、聞きに行かない限り何も教えてもらえない。俺これ描いちゃっていいのかな? 描けると思ってんのかな? って思ったのを、今でもしっかり覚えてます(笑)。
今だから話せる井上組の作法
――立沢さんがアシスタントに入った現場の雰囲気は、どんな感じだったんですか。
- 立沢
- 仕事中の師匠は無口なので、現場はすごく静かでした。コソコソ話す感じ。色々な漫画家さんがいると思うんですけど、仕事場は先生の空気に合わせるというか、先生の雰囲気になるんです。だから師匠がしゃべらなければ、しゃべらない。
- 井上
- 特に会話は盛り上がらないよね。話ふってもかみ合わないし。メンバーにもよるだろうけど基本、静かだった。
- 立沢
- ただ、サッカーのワールドカップの時なんかは、作業を一旦置いておいて、テレビのある部屋に集まってみんなで観たりしましたよね。興味ないメンバーは観ているようで寝てましたけど(笑)。当時は師匠がしゃべらなくても、だいたいのことがわかりましたよ。怒ってるな~とか。
- 井上
- いや、怒ってないよ(笑)。
- 立沢
- なんかピリピリしてるんですよ(笑)。でも僕は、師匠の事を怖いと思ったことはあまりないですよ。制作するうえで厳しく指示が入るのは当たり前だし、理解できないようなことで怒るようなことはなかったし。
――週刊の連載では、何ページくらい描いていらしたんですか?
- 立沢
- 毎週20ページくらいですよね。
- 井上
- そうそう。連載と年に数回読み切りを描いたりもしてたけど、スケジュール的には順調だったね。一週間丸々かかるような感じではなかったし。
- 立沢
- 泊まりは最終日だけでしたよ。初日は夕方集合で21時にあがり、次の日も作業して3日目には終わってた感じ。
- 井上
- そのくらいだよね。だいたい3日か4日。
- 立沢
- 僕たちが行く前から原稿を用意してくれていた師匠は、もっと作業されていたでしょうけど、アシスタント的には2日半のイメージでした。速いなあと思ってましたよ。
-
井上
- 若いからできたんだろうなあ。あとは迷いがないっていうか、ストーリー展開も「試合やって勝つ!」みたいにやりたいことがハッキリしてたから、一直線だった。
――新人の立沢さんは現場で鍛えられる中、どうなっていったんですか?
- 井上
- タツは最初から手が早かった。あとはすごく勘がいい。コツを掴むのが早いっていうか、絵はどんどん上手くなっていくし、ほかの先輩たちと遜色がなくなるのも、そんなに時間かかんなかったよね。
- 立沢
- イヤ、それは今だからなんとでも言えます…(苦笑)。4巻から関わって、いい感じに描けるなって思ったのは17~18巻くらいの陵南戦ですよ。結構後半ですよ。
- 井上
- タツは枚数をこなすタイプで、これもすごく大事なんだけど…まあ、絵は雑でしたね(笑)。
- 立沢
- 恐ろしく雑でした。ただ、当時の僕はわかんなかったんですよ。早ければいいのかなっていうくらいに思っていましたから。今にして思うと、本当にひどい。陵南戦までは雑だなと思いますね、今見ても(苦笑)。
- 井上
- 早さも必要だけどね。当時は僕も雑だったし。
- 立沢
- 口で怒られたことはないですけど、鉛筆で描いてあるのは超怖かったです…。
- 井上
- それは単なる指示だよ。
- 立沢
- ちょっと怒ってる風な指示…でも怒らないほうが怖いんですよ。指示がまたちょっと難しかったんですよね。具体的ではなくて。
- 井上
- 哲学的に書いて…というか、ニュアンスの話だから。
- 立沢
- 「もっとソフト」にとか、どうやって描けばいいのか…。いつも考え込む感じの指示があったのは怖かったですね。師匠がいない時に終わって置いて帰ると、翌日来た時に指示が入ってたりするんですよ。あの鉛筆の字、超怖かったなあ。
- 井上
- えーソフトな字で書いてたのに(笑)。
- 立沢
- 時々、読めない!っていうのもあって。
- 井上
- 読めないのはあるね。
- 立沢
- 僕がすごく覚えている出来事は、「勇猛果敢」って旗があったじゃないですか。あれがのっぺり見えないようにシワみたいなのを入れたら、すごい怒られたんですよ。「これ、なんだよ」って、これは口で言われて! 旗にシワができるんじゃないかと考えて描いたんですけど、すごく変だったんですよね。
- 井上
- 応援する用のバナーみたいな旗ね…あれはいつも不満だったね。誰が描いても。
- 立沢
- それで、シワみたいなの描いたら「なんだよこれ」って言われて…
- 井上
- それはシワが悪いんじゃなくて、シワの描き方が悪いんだよ。
- 立沢
- そうなんです。ただその時に、「やろうとする心意気は良し」みたいなことを言われたんですよ、師匠に。その時に俺、嬉しかったのを覚えてます。でも、どうやればいいのかはわからなかったんですよね。具体的には言ってくれないから。
- 井上
- そう、それは自分で考えないと。
- 立沢
- その頃、徐々にできることが増えていって、いろいろやろうと思い始めて調子こいたんでしょうね(苦笑)。
- 井上
- もっと先へ行きたくなるんだよね。他の人がやっているのを邪魔しないようにというか、同じように描こうとする段階から、自分なりの表現をと。ここはもっとこう描いたほうがいいんじゃないかとか。たぶんそういうチャレンジをする時期だったと思うけどね。
名作を完結させる難しさ
そして新しい挑戦へ…
――『スラムダンク』の人気がどんどん高まっていく実感は、現場では何かありましたか?
- 立沢
- それは…チョコレートですかね。
- 井上
- チョコレート? あ、バレンタインか。
- 立沢
- バレンタインデーのチョコレートが山のように届くんですよ。キャラクターたちに。それを僕らが美味しくいただくんですけど、超いっぱい来てましたよね。
- 井上
- あれはすごかったね。
- 立沢
- でも、仕事場は淡々としてましたよね。
- 井上
- 中にいる人間はそんなに変わんないよね。
- 立沢
- ご飯とかもいつも通りな感じでしたし。
- 井上
- 仕事部屋はちょっと良くなったかもしれない。仕事部屋が広いところに移れたし。他には特に変化はないですよ。
- 立沢
- 師匠は当時、バスケやってましたよね?
- 井上
- やってたね。
- 立沢
- 手がプルプルしながら原稿描いてるのを思い出しました。
- 井上
- そんなになるまでやってたっけ?
- 立沢
- 練習行って、帰ってきて描こうとしたら…(プルプルしてて)アレっていうのありませんでした?
- 井上
- あったね。
――制作現場自体はあまり変わらないものなんですね。
- 立沢
- そうですね。スラムダンクの頃は、僕の印象だとずっと同じでした。最後のほうはすごく、キツそうでしたけど。
- 井上
- 最後の一年間は苦労しましたね。さっき順調だったって言ったのは、最後がきつかったから。それ以前のスケジュールは順調だし、むしろ早く感じて。
――最後の一年が大変になった理由は?
- 井上
- それはやっぱり、山王戦で終わると決めてたので。その試合を今までで一番いい試合にしたいという思いがあったので、きちんと終われるようにつぎ込んでつぎ込んで…原稿を落としはしなかったけど、スケジュールもちょっときつくなりましたね、最後のほうは。悩むようになったのも最後の一年ですね。絵自体にも気合を入れようとするから、スタッフにも緻密さを要求するし。自分自身も心血を注ごうって感じでしたね。
- 立沢
- その事に関して、アシスタント同士で特に話はしませんでしたけど、個々のやる気は作品を見てもらえればわかると思います。
- 井上
- そういう部分はスタッフそれぞれが、意気に感じてくれたと思います。
- 立沢
- いい感じで気合が入ってましたよ。気持ちの入る絵ってホントにあるんです。他の人が見てもわからないかもですけど。
- 井上
- いや、多分感じるんだと思うけどね。絵に気持ちが入ってるかどうかっていうのは。なんとなく見てわかるんじゃない?
撮影/尾形正茂
構成/市川光治(光スタジオ)
取材・文/名古桂士(X−1)、齋藤貴子
協力/アイティープランニング