新ジャンルの描き方、磨き方


――井上さんが現在執筆されている『リアル』と『バガボンド』では、
例えば筆を使う等『スラムダンク』とは違う描き方をされていますよね。

井上
『バガボンド』で筆を使うことにした当初は、やっぱり挑戦でしたね。
使い慣れてないものをあえて使うっていうことで、一時的に絵のレベルが落ちたなって思いました。 慣れていないっていうか。 そのぶん楽しさは広がりましたけど。
『リアル』は技術的には『スラムダンク』の延長で描いていますけど、車イスバスケを描くっていうこと自体がチャレンジなので、そういう面白さはありますね。

――物語を作ったり、登場人物の内面を描くという意味での面白さですか?

井上
そうですね。それをどう見せるかっていうことだったり、車イスを描くこともチャレンジだし。

――立沢さんも2012年まで携わっていらしたんですよね。

井上
つい一昨日まで(笑)。
立沢
そんな気分ですよ。僕は井上雄彦の原稿を師匠の次に見ていると思ってます(笑)。

――井上さんのスタイルが変わることで、アシスタントとしての難しさや変化はありましたか。

立沢
『バガボンド』は、とにかく最初から辛かったのを覚えてます。
自然物はそれまでの描き方とは違うので、やり方がちょっとわかってきてからがさらに大変でしたね。
これは描き込まなきゃいけないんだって思ったし、最初はすごく時間がかかりました。
井上
絵としてのベクトルが逆なんだよね。
『スラムダンク』は整理した絵でキレイに描いてたけど、『バガボンド』は汚したい汚したいっていう方向なんで、からっとした絵だと嘘くさい。もっと白黒映画みたいな絵面にしたくて。

――土埃(つちぼこり)が舞っているような感じの。

井上
そういう感じにしたかったんで、そのためにはやっぱり手を入れないといけないんです。
そこでタツの手の早さと、雑さがいい方に出るわけよ。
本領発揮(笑)。
立沢
たしかに泥を描くのは大好きでした。僕は楽しかったですよ。ラフな感じで。
井上
雑じゃないと描けないんだよね、自然物は。
一個一個の形にこだわっていたら描けなくて、感覚というかノリで描いていかないといけない。
もちろん、形とかにこだわらなくてはいけないところもあるんだけど。
立沢
武蔵と小次郎が関ケ原で遭うシーンがあったじゃないですか。泥の中で。
あそこと、70人斬りの雪がベチャベチャなところ。あのへんは楽しかったですよ(笑) 。
師匠はしんどかったと思いますけど、あの絵が格好良くて好きですね。
井上
70人斬りは死んだね…あそこはもう筆だよね。
立沢
筆でした。僕たちはペンで。
僕はGペンの先を替えずに、普通に描いたら極太の線になるような状態にしてずっと描いてました。というか、いまだに変えてないです。それで『ポンチョ』も描きましたし。 まだ一回も変えてないGペンをずっと使ってる。
井上
あんまりいないと思うけどね。
立沢
硬いGペンだと、葉っぱの地面とか描くのが大変なんですよ。そのGペンをわざと立てて細い線を描いてました。

――厳しい要求もありましたか?


立沢
無茶な要求は…ときどき(笑)。
『バガボンド』で見開きを明日までにっていうのがありました。
井上
どのやつだった?
立沢
小次郎が5人と戦う、さまよって…ゴツゴツしたアタリで、見開きで…。
井上
あー、あの時は常に時間がなかったからね。あれは無茶だったね。
立沢
あれはいまだかつてない最速で、超飛ばして。
井上
できるところまでっていうつもりで言ってたんだけどね。できなくても、あれはしょうがないっていう。
立沢
やりましたけど、ちょっと雑になりました(笑)。

受け継がれる 漫画家のDNA!


――最終日はかなりキツイ状態になるんですか。

井上
そうですね。あと一日とかになると、梅干しの偉大さがよくわかる。
普段梅干しって何気なく食べるじゃないですか。すっぱいだけじゃないですか。
でも原稿最終日に食べると「よし」って復活する。
あと海外行った時とか旅行で疲れて梅干し食べる時も同様で、シャワー浴びるのと同じような感覚で身体がリフレッシュされるみたいな。そういう効果を身をもって感じてます。

――(笑)。立沢さんは?

立沢
僕はグレープフルーツがそれですね。シャキッとして目が覚める。目が良く見えるような気分になる。
井上
グレープフルーツなんて食べてなかったじゃん。
立沢
いや、家で。
井上
あ、家でか。
立沢
(アシスタント時代は)フルーツ食ってないですね。デカビタくらいですね。
師匠の最終日は、ほんとにしんどいですよ。普通の漫画家がやる量じゃないので。あれおかしいです。
井上
最終日が初日みたいな感じ。初日と最終日が同じ。
立沢
師匠が描いた原稿を僕らが仕上げるわけじゃないですか。僕らは5人いるから分担できるんですけど。
師匠は1日で20ページ近くやりますから。信じられないですよ!
井上
これが梅干しパワーですよ。
立沢
相当ですよね、梅干しパワー。


――キツさを乗り越える術も、アシスタントとして現場で学んだわけですね。

立沢
反面教師じゃないですが僕は、できるだけ余裕を持ってやろうと。精神的に自分自身が潰されるんじゃないかと怖かったです。あの感じには、ならないようにやるんだっていうのは常に思ってました。

――そういえば、井上さんもアシスタントをされた経験があるんですよね。

井上
『シティーハンター』の北条司先生のアシスタントをさせてもらったんだけど、輝くようなオーラをまとった原稿が回ってきて、「これやって」っていきなり言われたよ。
立沢
僕と同じ状態ですね!
井上
最初は枠線引いて、ベタ塗って、消しゴムかけてぐらいの仕事なのかなと思ってたら。いきなりビル描いたり車描いたりしなきゃいけなくて。車なんか描いたことないからね。他のアシスタントのを見よう見まねでやってたよ。
絵は、やっぱり最初のころはすいません!っていう感じだったし、今見てもこんな絵でホントごめんなさいって感じ(苦笑)。

――そのときのやり方をご自分でもやってこられた。

井上
それしか知らないから、ずっとそうしてきました。
立沢
僕も『ポンチョ』ではアシスタントに入ってもらいましたけど、全部やり方は同じですよ。
指示は鉛筆で書くのではなく、近くにいたので口で言いましたけど。そういえば『ポンチョ』の時は、僕はあまり野球に詳しくなくて試合を描く段階になって少し迷いがあった。
そんな時に師匠と偶然会って、
「野球を描いていいんすかね?」って話をしたら、
「いいんだよ。俺だって人斬ったことないよ」って言ったんですよ。
あぁ、そうかって。師匠はカッケーなとあたらめて思いました。

――同じ「作者」という立場になったからこそ感じることがあるんですね。

立沢
それはもう大体のことで感じます。それに、こんな感じの絵を描いてみようとか、あのやり方してみようって思うと、大体は師匠がやってるんですよ。無意識にシーンが似ていたりとか。
いかに違う感じのモノができないかなって考えますね。
井上
でも偶然そうなるのは、漫画はそういうものだから。そういう僕だって漫画の先輩たちがやってきたものを受け継いで描いているわけだから、みんなそういうものですよ。
だんだん時代とともに微妙に変わってくるし、誰もやっていない表現をたまに出てくる天才が生み出すかもしれないけど、ほとんどのことは受け継いできたものですからね。そういうものでいいと思います。

撮影/尾形正茂
 構成/市川光治(光スタジオ)
取材・文/名古桂士(X−1)、齋藤貴子
協力/アイティープランニング
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